医学部における研究医不足について〜日本医療が抱える問題を考える

研究医不足〜日本医療が抱える問題を考える

日本の医療は様々な問題をはらんでいます。その中で、なかなかニュースなどで取り上げられませんが、深刻と考えられている問題の一つに、研究医の不足があります。研究医の育成には時間がかかるため、今すぐ手を打たないと将来日本の医療は長期にわたって大きな不利益を受けると予想されています。
研究医は読んで字のごとく研究する医師だろうな、ということはわかって頂けると思いますが、具体的にはどんなことをするのでしょうか?そしてどうすれば研究医になれるのでしょうか?

研究医とは

研究医とは、基礎的な研究を行う医師の事です。大学、国立の研究機関、または病院の研究部門などで研究を行っています。一方で、病院などの臨床で診察、手術を行う医師は臨床医と呼ばれます。
研究医はごく稀に臨床で診察などを行う事もありますが、主な仕事は研究室で実験、研究を行います。ほとんど臨床業務をしない研究医は多数います。
この研究医には非常に重要な役割があります。それは、基礎研究と臨床の橋渡しです。

生命科学の基礎的な研究は、理学部、農学部など、理工系学部の出身者が行っていますが、病院などの臨床向けの教育はされていません。そのため、生命科学の基礎研究と、医学の臨床で解離が生まれてしまう事があります。
研究医は臨床向けの教育をされているので、基礎研究と臨床双方を理解した上で研究をする事ができます。また、理工系学部出身の研究者と共同研究を行う事によって、基礎と臨床の橋渡しができます。
医学の研究を理工系学部出身者が行う事が多い現代では、研究医は研究を進め、研究の結果を臨床に応用するためには不可欠な存在なのです。

研究医のわかりやすい例としては、ノーベル医学生理学賞を受賞した、iPS細胞の山中伸弥教授、免疫チェックポイントとがんの本庶佑教授が挙げられます。
山中教授は神戸大学医学部出身、博士号は大阪市立大学、本庶教授は京都大学医学部出身で博士号は京都大学です。


研究医が不足している現状と理由

しかし、現在この研究医の数はそれほど多くありません。医学系の研究機関では、理工系学部出身の研究者に頼らざるを得ない状況です。分野をこえて研究者が入ってくる状況は悪くはありません。むしろ好ましい状況なのですが、肝心の橋渡し役の研究医が不足しているのです。

医師国家試験に合格すると、研修医として臨床実務を学ぶため、2年間の臨床研修が厚労省によって義務化されています。この2年間が終わると、さらに臨床経験を高める(後期研修が設定されている医療機関もあり)、または大学院進学、となります。
昨今、臨床技術は高度化が進み、2年間の研修では不十分と思う医師が増えたためか、前期研修2年の後も臨床経験を積んでから大学院に進学する人が増えています。
そうなると、医学部を卒業してから5年くらい以上経て、20代後半から30代前半で大学院に進学になりますが、ここで問題になるのは収入と時間です。

まず、常勤の病院医を辞めてから大学院に進学したとします。この場合はアルバイト医師として生活費を稼ぎながら大学院で研究をします。当然、常勤医時代より収入は減少します。

では常勤医のまま大学院に進学した場合はどうでしょうか?収入は安定していますが、日中は医師としての業務があるため、その業務が終わった後に研究室で研究を行う事になります。そうしますと、研究に使う時間が足りなくなり、4年間で博士号を取得するのはかなり難しくなります。


ここで「博士号」について解説しておきます。博士号は、理工系、医療系の研究者であればほぼ取得している学位です。研究者にとっては、博士号取得はゴールではなく、スタート地点です。
そのため、研究テーマは将来を見据えたテーマになります。また、大学院で学位取得後は、研究者としてのキャリアを始めるための研究ポスト(研究員、大学の助教など)を取らなければなりません。そのためには、大学院の研究テーマで何をやってどういう業績を挙げたかが重要になります。
一方で、後々の自分のキャリアを考えて博士号を取得する人もいます。これは、研究するための博士号ではなく、キャリアアップのための博士号です。このような場合は、博士号取得がとりあえずのゴールになります。
この場合は、研究テーマがそれほど大きくないものであっても後のキャリアにあまり響く事はありません。博士号を取った後は臨床技術を磨く事によってキャリアアップが可能だからです。しかし、研究者になれるレベルの研究を行う人もいます。この辺がどうなるかは大学によって多少異なります。

となると、研究医を目指す場合は、「しっかりした研究テーマを、収入が少なくなるアルバイト医師をしながらなるべく研究の時間を取って行う」または「しっかりした研究テーマを、常勤のまま限られた時間で行う。4年間で取れず、6年くらいかかってもやむを得ない」のどちらかを選ばなくてはならないわけです。
どっちを選んでも大変な時期を過ごすことになります。これが研究医が少なくなっている原因の一つです。

研究医の多くは、大学や研究機関で研究をしています。大学の場合は、教授、准教授などのアカデミックポストに就いて業務を行います。この場合は研究のみでなく、学生への教育も業務に含まれます。
例えば、この大学の教員になりたい場合、研究医を目指すのは一つの手段です。しかし、大学医学部の研究室は基礎系だけではなく、臨床系もあります。
臨床の研究室で大学院に進学すると、臨床業務をしながら研究をする事ができます。つまり、同じ研究室の中で臨床と業務を行う事ができ、融通も利きます。
大学教員を目指す場合、臨床の研究室で博士号を取るという手段もあります。さらに、臨床が専門でなおかつ博士号を持っていると、私立などの病院から声がかかる事があります。
臨床系ですと、進路に多様性が出てきます。大学教員ポストを得るための競争で勝てそうになければ、病院の医師に転じる事ができるのです。しかも、博士号を持っていますから、その病院でのキャリアアップに有利です。

こればかりはどうしようもないのですが、研究医をするよりも、臨床医としてキャリアを積む方が良い待遇を得られやすいのは事実です。
こうしたことから、なかなか研究医を目指す人が増えない、むしろ減っているために、将来的には今よりもさらに研究医が不足すると考えられています。
高校卒業時に研究者を目指す人材は、大学入学後も進路変更が比較的容易で、幅広い事が学べる理学部、工学部、農学部を選ぶ傾向が見られます。医学部は医師養成が主な目的という性質から、講義の選択には自由度がありません。こういったことも、研究者を目指す人が医学部を選びにくい理由です。

研究医の必要性

研究医は基礎と臨床の橋渡し役、と書きましたが、最近ではこの橋渡し役が非常に重要視されています。
生命医学の研究は、医学部だけでなく理工系の学部で広く行われています。しかし、医療の現場を知っている人間はなかなかいないのが実情です。
そのため、今現在医療の現場で問題になっている事、求められている事を臨床から情報を得ようとしても、理解しにくい部分があります。

研究医は基礎研究と臨床の間の潤滑油となり、そういった情報のやりとりを仲介、または自らが基礎的な研究を行い、医学を進歩させます。
文部科学省、厚生労働省は、医学の発展のために、生命医学の研究プロジェクトをいくつも推進しています。ほとんどのプロジェクトには、研究医が名を連ねており、重要な役割を担っていますし、研究プロジェクトの代表になる事も少なくありません。
プロジェクトは、省庁の公募に研究者達が複数の学部、大学で研究チームを作って応募します。研究テーマとその計画を吟味して採択されるか採択されないかが決まりますが、生命医学の場合は、研究医をメンバーに入れる事によって基礎から臨床への計画に説得力が生じます。
また、プロジェクトの計画のコツとして、臨床、基礎双方に知識のある研究医のグループを中心に置き、臨床チーム、基礎チームからの情報の流れを常に研究医を通して行うというやり方があります。

年間数億円レベルの生命医学系プロジェクトにはこのような形を取っている研究チームがかなりの割合であります。研究医をディレクター的な立場に置くと、情報の誤解が少ない、必要とする情報が臨床、基礎の両方に上手く伝わるなど、メリットがデメリットを遙かに上回ります。

研究医を目指す高校生へのメッセージ

医学部を志望する高校生の方々の多くは、将来医師として診察、治療を行うことが頭の中にあるかもしれません。研究室で研究する自分を想像する方は少数派でしょう。

将来予想される研究医の不足を考えると、ぜひ研究医にと言いたいところですが、高校生の段階でそこまで決めてしまうのはどうなのかな、という思いもあります。
ですので、研究医という選択肢も頭の隅にちょっと置いて欲しい、と書くにとどめます。最初から臨床医のみを考えるのではなく、研究医というものの存在も頭に入れおいて欲しいと思っています。
目の前の患者さんに向き合う臨床医と、病気全体を考える研究医の両方があってこそ、医療は進歩します。ぜひ、研究医の存在を頭の片隅において、医学部合格を目指して下さい。
もし研究医を目指している高校生がいらっしゃるのであれば、そのまま勉学に励んで下さい。医学部に入学し、皆さんが研究医を目指す時に進む道は上の世代がきちんと作っています。幸い、研究医を目指していても、途中から臨床医に進路を変更する事もできますし、臨床医の道から研究医に転じる事もできます。


まとめ

医学部出身者=臨床医、という印象は、医学部出身者との接点が診察、治療である事が多いので仕方のない事です。しかし、最近は日本のノーベル医学生理学賞受賞者も増え、医学部の研究者も世間に認知されてきました。
日本では、医師=安定した職業という考え方をする人が多く、なかなか研究医という労力の割に報われないと思われている職業に進む人が増えません。
各大学では大学院進学、そして研究者に向かう医学部出身者を増やそうと努力しています。それは、生命医学の研究の進歩に対する危惧のためだけでなく、生命科学がビジネスとして成り立ちつつある今、日本がこの分野で経済的に不利になることにもなる、と危惧されているからです。
海外の技術のみに頼ってしまうと、どうしても日本は弱い立場になってしまいます。特許などで主導権を握られてしまった結果、日本でその治療を受けるためには高額の費用が必要ということも起こりかねません。
また、感染症対策、再生医療などの分野では特に専門の研究医が必要とされています。こういった国全体の問題を解決の方向に導くためにも研究医の存在は欠かせないのですが、なかなか目指す人が増えず、将来の人材不足が不安視されているのが現状です。

 

参考リンク

もう一つの”医療危機”、基礎目指す医師減少【平成の医療史30年◆大学編】(m3「医療維新」)

清水孝雄前東京大学医学部長

研究医不足の現状と課題~研究・教育の現場から思うこと~(日医on-line)

札幌医科大学医学部 解剖学第2講座 准教授 永石歓和

 

 

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