【地域医療を考える】石川県奥能登地方の現状#2 令和6年能登半島地震の記憶〜大学受験〜

はじめに

第1回は震災当日から現在までの状況について解説させていただきました。第2回は、私が勤務しているまちなか鳳雛塾の塾生の大学受験談について語りたいと思います。

 

まちなか鳳雛塾
https://notoko-miryokuka.com/project/project-04/

 

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塾の外観
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塾のロゴ 

まちなか鳳雛塾は能登町の公営塾です。公営塾とは昨今増えている形態の塾で、民間が運営している塾ではなく、主に地方自治体が主体となって運営している塾になります。

令和6年能登半島地震は1月1日に起きたため、共通テストや二次試験に大きな影響を与えました。今回はその部分に焦点を当てながら、当時の状況をお伝えできればと思います。内容は私が担当していた国公立理系の生徒が中心になります。

 

震災直後から共通テストまで

地震が起きてから、塾講師として最初に気になったのは、生徒の安否でした。幸い、生徒の安否はすぐに確認できたので、次に考えるべきは、大学受験の共通テストのことでした。直前の追い込みを考慮して指導していたため、直前2週間の学習がストップするという、大きなハンデを抱えながら受験することを考えると、非常に気が重くなりました。

 

過去の大震災は、私が調べた限りでは、共通テスト(旧センター試験含む)に強く影響を与える時期に起きたものはありませんでした。従って、今回の令和6年能登半島地震が、共通テストに影響を与えうる初めてのケースになったのではないかと思います。当初は過去に例がないため、寛大な措置が取られるのではないかと考えていました。

しかし、取られた措置は、被災者は追試権を受けることができる、という限定的なものに留まりました。通常、共通テストは追試権の方が難しいとされています。よって塾生は強行日程で通常通りの本試験を受けることになりました。実質的としては、震災に対する配慮はほとんどなかったと言っても過言ではありませんでした。

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被災直後の塾内
塾の内部はそれほど被害はなかったのですが、物が非常に散乱していました。

すぐに片付けを行い、建物内部は使用できる状態になりましたが、、奥能登全体の道路状況が酷く、開塾しても塾生が来ることができなかったため、しばらく閉塾になりました。

受験生の被災状況は様々で、自宅が無事だった生徒もいれば、避難所で生活するしかない生徒もいました。避難所によっては、受験生のために勉強部屋を用意してくれるところもあり、全員が厳しい中、応援してくれる地域住民の繋がりの深さを感じました。私も微力ながら、避難所まで向かって受験生に必要なテキストを届けたりしていました。

 

ただ、今思い返しても、本当にできることは少なかったです。震災がなければどれだけのことができたかと思うと、何もできないに等しい歯痒さがありました。

能登半島には共通テストの受験会場がないため、塾の高校生は金沢まで移動になります。震災当日から移動当日までさしたることもできず、とにかく出発当日には見送りに行き、一言だけ、いつも通りにやってこいとだけ伝えたことを覚えています。いまだ道路状況が悪い中だったので、金沢にしっかり辿り着けるかすら心配でした。

 

共通テスト〜自己採点

1月1日から共通テストまで紆余曲折がありましたが、テスト自体は無事に受けることができました。テスト翌日の月曜日に自己採点を伝えてもらうのはどの塾でも慣例だと思いますが、今回ほど緊張した月曜日はなかったです。大幅な得点ダウンだけは避けて欲しいと願いながら、結果の通知を待ちました。

しかし蓋を開けてみると、全く予想しない結果になりました。子どもはときにこちらの想像を超えてくるもので、私が重点的に見ていた理系志望の塾生の点数は、ほぼ全員が普段の点数から大幅アップ、100点ほど上がっている生徒もいました。この危機的な状況の中では、最善の結果を得ることができたと思います。

 

二次試験

共通テストの結果に伴い、塾生の受験大学は国公立の放射線系の学部や、金沢大学、私立大学は関関同立など、難関大学が揃いました。

奥能登の受験生は二次試験まで金沢のホテルに滞在できるという措置が取られたため、オンラインの指導に限定されるものの、それでも共通テスト前と異なり、安定して指導することは可能になりました。1月下旬からは塾を一部開放し、少しずつ通常営業に戻す流れが進んできました。

 

共通テスト後には各自面談をして、やるべきことを指示しました。まずは過去問をあるだけ解くこと。各々10年〜15年分くらいは解いたと思います。過去問を分析して、各教科の優先単元の絞り込みまで行いました。

過去問を解く中で重視したのは、数学と理科の記述対策です。二次試験で数学理科が必要な生徒はこちらで添削していました。言葉遣いや論理の運びを細部に渡って添削し、さらに過去問を大量にこなしたことによる慣れもあり、かなりの二次力をつけられていたと思います。

 

試験日が来るまで過去問の対策を続けた結果、最終的にはほぼ全員が上記の志望大学か、それに近い大学に合格することができました。二次試験の方は各自かなり対策が打てたことに加え、過去問でも合格点が取れそうなことは見えていたため、共通テストほどは緊張しませんでしたが、それでも結果を聞いた時はほっとしたことを覚えています。

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塾生の進路

卒塾生の進路です。様々な進路の生徒がいました。

受験結果の分析

その後、なぜ今年の受験がうまく行ったのか、色々と分析をしてみました。要因はいくつもありますが、中でも大きな三つを取り出してみます。

 

要因のひとつは理科の強化に力を入れたことです。私がこの能登町にやってきたのは去年の7月でした。7月の時点では、どの生徒も理科の対策が大幅に遅れていました。加えて、志望校の配点を調べると理科の重要性が高い生徒が多かったので、夏休みの間に急いで理科の全範囲を終わらせました。それから共通テスト対策の問題を繰り返し解かせたところ、秋頃には理科を武器にできるようになりました。最終的には二次試験まで理科が大きな武器になっていました。

数学を武器にするのは相当な時間がかかりますが、理科であれば短期間で仕上げることができるので、この対策はうまく嵌ったように思います。理科は現役生にとって遅れがちな科目ですが、配点が高いケースもあるので、場合によっては優先順位を英数よりも上げる必要がある科目です。

 

要因の二つ目は、主に共通テストに関することですが、震災で塾に来れない状態でも、最後の追い込みは出来ていたということです。もちろん、万全の状態ではありませんでした。特に被災直後などは誰もが勉強できるような状況ではなかったはずです。それでも少し落ち着いた後は、誰に言われるでもなく、各自自分の判断で、過去問をこなしたり、苦手な部分を復習したりと、できる限りの対策を打っていたようです。

自律して行動できることは、私が普段の学習計画から指導において一貫して求めていたことでもあるので、極限の状態の中、一人で考えて一人で試験に臨むほど成長していたことは、試験合格と同じくらい嬉しいことでした。

 

要因の三つ目は、メンタルの問題です。震災後の困難な状況で学習を続けられたのは、周りのサポートもさることがなら、状況を悲観的にではなく、楽観的に捉えられたことが大きかったのかも知れません。色んな生徒に話を聞くと、こんな状況になったのだから、失敗してもある意味仕方ないというくらいの、開き直ったメンタルを持てたと言っていました。受験に勝つためには非常に重要な心構えだったのではないかと思います。

大学受験とは第一に学力を身に着けて、入学以降の学習に備えるものではありますが、一方で困難に立ち向かい、メンタルを鍛え、人格的な成長を促す機会でもあります。震災という困難を乗り越えて合格を勝ち取った生徒たちは、学力のみならず、人間的な頼もしさすらを感じさせるほど成長していました。

 

執筆者


 

中村 俊介


1984年生まれ長崎県長崎市出身 石川県鳳珠郡能登町在住
広島大学理学部物理科学科卒業
広島大学大学院先端物質科学研究科量子物質科学専攻博士課程前期修了
複数の塾を経てPMD医学部専門予備校に入社
その後能登高校魅力化プロジェクトに参加
現在はまちなか鳳雛塾に塾コーディーネーターとして勤務

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